多彩なお囃子とその系統

多彩なお囃子とその系統

夏休みに入るのを待ちかねたかのように、町内の彼方此方から祭り囃子の笛・太鼓の音が流れてくる。妙に気忙しさを覚え、何か落ち着かなくなる。女房達は子供や孫を迎える準備に動き廻る。江差人特有の血が騒ぐ。祭り囃子は江差人をして育てた子守歌である。

祭囃子

神の依代として飾り付けられたヤマは、神輿に供奉し、各ヤマ固有の笛・太鼓で奏する囃子のリズムと「ヨーイ・ヨーイ」曵子の掛け声にのって巡行する。
江差の祭り囃子は各ヤマが保存伝承しているオリジナルな囃子で「行き山・立て山・帰り山(戻り山とも云う)」の三種の別がある。「行き山」は巡行中の囃子で流暢なリズム。「立て山」は御旅所や立て場(神社)で、神に捧げる囃子で荘厳なリズム。
「帰り山」は烈しい急テンポの囃子で、行列が解散して宿に帰る時の囃子である。

囃子の類型

各ヤマの囃子はオリジナルであるとは云うが、それは細部についてであって、全体としては調子が同一で、僅かなリズムの変化・撥捌きに多少の変化が見られる程度で、囃子の雰囲気としては統一されている。こうした囃子の成立には幾つかの類型が考えられる。それは比較的古い伝統を持つ神功山・蛭子山と、豊年山・楠公山、松寶丸の三つの型がその基底にあるようである。それも確固たるものではない。第一の類型は比較的リズムが悠長で、祇園囃子の雰囲気に近く、現在の神功山と蛭子山では大太鼓・小太鼓の撥捌きに大小の相違があり、「行き山」と「立て山」が入れ替わった箇所が感じられる程度である。この後背地として遅れて造営された新栄山・豊栄山は、独立にあたって、神功山や蛭子山の囃子をアレンジして、俺らがヤマの囃子を作曲しているので、その根底は変わらずスタイルは同一である。第二の類型、豊年山・楠公山は、前者に比べ全体の雰囲気が比較的躍動的で、リズムを変調する等変化を与え、撥捌きに技巧の妙を求めている。掛声にも変化をつけ存在感を強くアピールしている。その影響は山の上の聖武山・源氏山にも見られる。それに対し清正山・政宗山・義公山は第一類型に近いものがある。第三類型の松寶丸の囃子には、荘重ななかに躍動感があり、独特の雰囲気を醸し出している。一般的に「帰り山」には各ヤマ共通のものが多いなかで、船山の所持地域で、分れて独立したが囃子は当然、船山をアレンジしたものである。昭和53年(1978年)から「祭り囃子コンクール」を実施して、囃子の伝承維持に努めている。
ヤマの笛や太鼓の奏者になることは名誉なことで、懸命に練習研鑽してその能力が一人前と、古参に認められて初めてヤマに乗ることが出来るのである。それは男子だけの特権であったが、昨今の過疎化、加えて男女同権意識が浸透して、むしろ女子の奏者が多くなった。

切声音頭

切声の起源

各ヤマは囃子の合いの手に「ヨーイ・ヨーォイ」や「ヨヤマカセ」と入れて雰囲気をもりあげている。また、松寶丸・誉山・楠公山・豊年山では、「綱入れ」と称する海の男を象徴する勇壮な伝統行為を保持している。これは鰊漁に端を発する「江差沖上げ音頭」を原型とするもので、ヤマに奉賛する若者たちが、「切り声(網起こし音頭)」を掛けながら、曵綱を商店や関係者の家の中に入れ、繁昌と安泰を祝う仕来りである。元々松寶丸を創始とする祝賀行為で、松寶丸が通ると問屋筋では、北前船取引の繁栄を祝って、船頭の下船を願い座敷に招じて接待した。店先では若者が海の男の心意気を「切り声」に託して、商運・家内安全を祝い、飲食と御祝儀にあずかるという祝賀行動である。この仕来りが漁家の多いヤマに伝播して今日に至っているのである。

祭り囃子コンクール

歴代表彰

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