山車紋「 菊 水 」
人形は、南朝の勇将「楠木正成」
大阪河内の土豪から後醍醐天皇の信頼を得て摂津、湊川の戦いで壮絶な最期を遂げたと伝えられれおります。
正成の軍旗「非理法権天」の幟を飾り巡行しております。
江差追分節にその名を詠われた津花町は 元治年間は神船(七福神)とあります。楠公山となったのは明治7年と記されております。
南北朝の英雄 楠木正成(大楠公)湊川出陣の像。
明治初期以前の作と言われ一説には弘前で製作されたと言われております。
御首の修理は昭和7年〔竹林堂〕昭和24年〔初代 西海谷北龍〕平成14年(二代目 西海谷北龍)に依り維持されております。
日本水彩画だんにその名を残した 早川国彦氏(岐阜県出身)筆によるもので大正中期に製作されたものです。
【左幕】 | 建武の中興成り後醍醐天皇京都へ遷都されているのを途中にて迎えるの図。 |
【右幕】 | 正行 父よりの形見の短刀(天皇より拝領)にて追腹せんとするを母(久子)に諫止され七国報国をさとされてるの図。 |
【後幕】 | 正成(大楠公)正行(小楠公)を祀る湊川神社の図。 |
「楠公山」は大正15年7月19日、大谷派江差別院輪番西田寛祐氏の書であります。
製作年/大正15年(1926年)
現在の山車は、三代目で大正15年製作の山車土台部分と金具を引継ぎ、昭和53年8月吉日、津花町の大工棟梁 飯川寿史氏の製作に依るものであります。
平成12年 塗装修復
平成14年 金具修復
平成18年 馬印復調
昭和57年 | 昭和61年 | 昭和63年 | 平成6年 | 平成13年 | 平成14年 | 平成15年 | 平成16年 | 平成17年 |
3位 | 準優勝 | 準優勝 | 準優勝 | 準優勝 | 優勝 | 優勝 | 準優勝 | 準優勝 |
平成18年 | 平成19年 | 平成20年 | 平成21年 | 平成22年 | 平成23年 | 平成24年 | 平成25年 | 平成26年 |
優勝 | 準優勝 | 準優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 | 優勝 |
平成27年 | 平成28年 | 平成29年 |
準優勝 | 優勝 | 優勝 |
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