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江差湾の推移

 前面にかもめ島を抱く江差港は、天然の良港として、中世期以来往来の拠点であった。
 1604年(慶長9)徳川家康より所領安堵の制書を受け、松前藩が成立するが、それは北辺寒冷・稲作皆無・自給自足が不可能な領国であった。土地支配を主体とする徳川幕藩体制下にあって、土地に依存できない松前藩は、海上交易のみが藩を支えるという特殊な藩政を施行せざるを得なかった。即ち1630年(寛永7)城下福山・江差・箱館の三港に、沖ノ口番所を設置して、三港以外での交易を禁じ、交易を支配する藩体制である。こうして江差港は松前藩政下の取引港の地位を確立する。
 松前藩初期の交易は、近江商人の荷所船が独占に近いまでに支配していた。1690年頃(元禄期)までの松前藩は、草創期の域にあり三港だけが港町を形成する程度で、在郷地は茅屋が点在するという状態であった。経済的にも檜材・前浜産の海産物・エゾ地の交易品等が主たる生産物で、しかもこれら生産物と需要品との交易は、近江の荷所船が独占的に支配していたのである。
 元禄期に入ると幕府の商品作物(綿花等)の奨励策と相まって、干鰯(ほしか=魚粕肥料)の需要が高まり、ニシンの増産が要求されるに至った。この経済変化に呼応して、松前藩は行財政の改革を断行する。その要点は税制改革と生産構造改革の二点である。その一つは小物成の拡大と株仲間の再編成であり、二つ目はエゾ地への場所請制度の導入である。場所請制度は武士商法(知行)を廃して、経営能力に長けた商人に生産を請負わせるもので、それによって西エゾ地の主要場所は、近江両浜商人の請負となり、急速にニシンの増産を見ることになる。こうして松前藩は経済的に最盛期を迎える。その成立期は宝歴年間(1751~)である。
 この元禄期の幕府殖産政策は、漸次貨幣経済を浸透させ、商人の台頭を促すことになる。それによって近江商人による流通独占が崩れ、それを契機に流通支配は近江の荷所船から、自由競争・利潤追求の買積船へと転換していく。北前船時代の到来である。
 江差港の買積船入港は、宝歴期を萌芽としその成立は寛政期(1789~)である。このことは江差経済が近江商人独占から、地場商人への移行ということである。

「北前船 -日本海文化と江差-」より

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