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江差港の繁栄

さて木材貿易が盛んになると「江差は入船700艘」といわれるほど、賑わってきました。ヒノキ生産は松前藩にとっても重要な産業となったことから、江差の5つの山に厚沢部の2つの山を加えた7つの山を「御山七山」として松前藩が直接取り締まり、延宝6年(1678年)、その番所を江差に置きました。この番所の設置が江差の繁栄を決定づけました。番所は今の旧檜山爾志郡役所のところに置かれ、その山門は法華寺の山門として残っています。
もっとも江差に番所が設置された17年後(元禄9年)に、大規模な山火事が起こり、ヒノキ山を半分近く焼失してしまってから、江差のヒノキ交易はふるわなくなってしまいました。しかし、それを補うように、ニシンが江差港の交易の中心になりました。
ニシンは古くから江差の前浜で捕れていましたが、資源として認識されるようになったのは500年ほど昔。馬之助という者が来て、ニシン漁を始めたという記録があります。その後、350年ほど前から刺網が使われ、この頃から本格的なニシン漁が始まったといいます。
右の手でニシンを渡すと左の手でお金を受け取った。すぐに商いになるので、武士も医者も船を用意して、ニシン漁をしない者はいなかった。男は、海の上で働き、女、子どもは、ニシンを割いて数の子をとる。病気の者か、坊さんか、金持ちのじいさんでもない限り、漁期に家にいる者はいなかった。浜辺に落ちているニシンを拾って歩くだけで、7・8両になった。わずか3ヶ月ぐらいの間に3~40両ものお金を貯めて国に帰ることができた、などと当時の記録は伝えています。 「江戸にもない江差の五月」の賑わいです。
そんな往来から生まれて来た歌謡が民謡「江差追分」です。

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江差町役場 追分観光課 観光係
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