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江差の郷土芸能

江差追分

道指定無形民俗文化財 北海道開発功労賞受賞 北海道遺産

江差追分江差追分は波の音とも風の音ともつかない哀切と凄絶の織りなした生命の唄である。信州追分宿の馬子唄が北国道から越後を経て、北前船の船頭たちによって渡る一方、越後松坂くずしがケンリョ節として唄われ、これらが江差の風土にとけこんだ。寛政年間(1789年~)に盛岡から来たケンリョ節の名手座頭佐之市が追分を大成したとされ、追分祖師の記念碑が東別院にある。昭和38年から続く全国大会は日本一をめざす熱気に溢れる。

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江差追分踊り

町指定無形民俗文化財

江差追分踊り 江差追分の調べにのせて、厚司姿の女性たちが優雅に踊る追分踊りは、昔、松前の殿様がアイヌのメノコを集めて踊らせたことにはじまるといわれるが、はっきりしていません。
いま一つの地元の口伝に、追分踊りは、九代目市川団十郎(または市川男女蔵)の弟子の市川弁之助という歌舞伎役者が振付をしたというはなしですが、市川弁之助は、嘉永3、4年の二度にわたって来江、芝居を興行しており、また、晩年は函館で踊りの師匠をして終わっているので、その間に追分踊りを振付したことと思われます。追分踊りは、その後、地元在住の元歌舞伎役者市川錦蔵、舞踊家の若柳吉富三らによって改良が加えられ、ますます精彩を放ちながら今日に至っています。

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江差沖揚音頭

道指定無形民俗文化財

江差沖揚音頭 江差に繁栄をもたらした「にしん漁」の厳しい労働の中から、沖揚げ音頭は生まれました。
にしん網をおこし(切声唄)大タモで汲み、舟にすくいあげ(沖揚げ唄=ソーラン節)網に産卵したカズの子を叩き落とし(子叩き唄=盆躍りのいやさか音頭)、帰り舟(舟こぎ唄)へと続く。
~ニシン来たかとかもめにきけばわたしゃ立つ鳥波にきけ~大正2年を最後に「にしん」の群は江差の浜から消えましたが、「にしん」の活況を伝えようと、大正末期に若い漁師たちがつくりあげた、豪快な海の男の唄です。

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五勝手鹿子舞

道指定無形民俗文化財

五勝手鹿子舞 山岳信仰から発生した民俗芸能で、アスナロ・ひのきの伐採にあたった杣夫によって五勝手村(南浜町・柏町)に伝承されてきた。紺地に源氏車の紋衣装、鹿子頭は銀の面に和紙の千切髪。
ち切れた紙が舞う勇装な闘争場面がある一方、雌鹿子を探しまわる姿や、智に長けた白鹿の説得など、変化に富んだ舞いが続く。

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江差餅つきばやし

道指定無形民俗文化財

江差餅つきばやし 今年しゃ~豊年満作で~山は豊作~浜大漁~この家じゃ黄金の餅をつく~縁起のいい唄ではじまり、数ある郷土芸能のなかでも最も陽気で楽しいものです。ニシン漁で栄えた頃、年の瀬が近づくと親方衆は一軒で五俵、十俵と餅を夜通しついたと云われています。
一晩でたくさんの餅をつくのは大変なため、囃子やユーモラスなしぐさを入れ今日に伝承されてきました。「にしん漁」繁栄の往後を偲ばせる威勢のよさであります。祝い行事に多く出演し、人気を高めています。

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江差三下がり

道指定無形民俗文化財

江差三下がり 300年程前、北前船とともに渡ってきた追分が、三下りとして浜小屋や茶屋の女たちによって、遊里や宴席で唄われたものです。文化年間になって優雅な恋路の躍りが振りつけられ、明治の初め頃から町人風の着流しと潰し島田の芸妓を模した道行姿の粋な踊りとして伝承されてきました。艶っぽくあでやかな雰囲気が伝わってきます。

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江差さめ踊り

町指定無形民俗文化財

江差さめ踊り 昔は漁師にとって、サメはとてもやっかいな存在でした。網は食い破り、網についたニシンは食い荒らすなど、実に手におえない海のギャングでした。そこで、漁師達は手に手に棒を持ち網の中に入ったサメをなぐり殺したそうですが、その様は海面が血で真赤に染まったと云う残忍なものであったそうです。
その霊をなぐさめる意味でサメがのたうちまわる様子を踊りに脚色して干蘭盆の供養踊りとして伝承されています。海のやっかいもののサメではあるが、この霊を慰さめる漁師たちの心情が伝わる、素朴な芸能である。

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土場鹿子舞

土場鹿子舞 厚沢部川河口の集落、柳崎の木場で働く杣夫や筏師の作業から発生した。柳崎は上流桧山からの木材流送の土場であった。鹿子舞の動作は小刻みで、下肢をまげてバランスをとり、木場で働く筏師の姿を巧みに表現する。木々振り舞は笛、太鼓、ササラのリズミカルな囃しで、大きな杵をふり廻す、曲芸踊りである。
雄鹿子、白鹿子、雌鹿子の三頭で構成されています。踊りは、前年の神事と後半の雌鹿子争いとその仲間の杵振り舞の三部構成です。津軽鹿子の系統である神事の原型をとどめていますが、鹿子頭は現に津軽地方に残るものよりも原型に近いと云われています。鹿子の服装は、洗練された美しさはないが、素朴さが感じられ、本場に生まれた踊りの形態を正しく受け継いでいます。

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田沢鹿子舞

田沢鹿子舞 その昔、松前藩主の奥方が重い病にかかり、ヤマメを食べさせたいと言う松前公の命で数人の若者が谷川へヤマメを取りにでかけました。山奥に入って行くうちに、あまりにも変わった鹿の泣き声に足をしのばせ近づいてみると、女鹿二頭を母鹿の前におき、男鹿三頭が小川にかかる丸太の上で、女鹿を我がものにしようと争っていたのです。この様子をさっそく松前公に進言したところ、是非それを舞にまとめるよう命じました。若者達は、笛、ササラ、太鼓などの楽器に合わせ、種々苦労の末どうにか鹿子舞に仕上げることができ、これには松前公も満足され、我と同等の位を授けると言い、又、奥方も自分の持っている最高の帯を、この鹿子舞に贈ったと言い伝えられています。

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【お問い合わせ先】

〒043-8560 北海道檜山郡江差町字中歌町193-1
江差町役場 追分観光課 観光係
TEL:0139-52-6716
FAX:0139-52-5666

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