江差追分踊り

江差追分節の情緒をかもし出すものに江差追分踊りがあります。追分踊りは文化・文政年代(1804~1829)の盛期に座敷踊りとして芸妓の間で踊られ、その由来は狩猟と漁労が交歓する時、唄を歌い、山猟が熊祭りの振りでそれに和して踊ったことが初まりとの伝承があるが、慶応4年(1868年)歌舞伎俳優の初代市川弁之助が江差で興行した折、彼の振付けで櫓を押す形や鴎の飛び交う様を入れて創作し、それが舞台踊りとして伝承されたものであります。

追分踊りの始まりは地元の伝承によれば、古くはアイヌのメノコを集めて踊らせ、松前の殿様のお目にかけたのが最初といわれるが、その後、慶応3、4年頃、この地に来演した市川弁之助が新地の芸妓あたりを相手に浜千鳥が飛び交う姿などからとって振付したものと考えられる。当時、江差地方では、芝居興行が頻繁に行われており、各種の遊芸人も数多く来江して遊芸一般に対する住民の見識も、かなり高いものがあった。追分踊りは、そのような旧時代の芸能に対する趣味、志向の濃厚な江差の文化的土壌の上に咲いた大輪の花であったといえよう。なお、市川弁之助は、どのような機縁によるものか、その後、中央の歌舞伎界を離れ、晩年は函館で踊りの師匠をしながら一生を終ったといわれる。

なお、追分踊りの振付は、市川弁之助に限らず、江差の音曲の師匠や踊りの師匠たちもいろいろと工夫を重ねたらしい。戦後、追分の三味線伴奏法の主流が従来の水調子から、現在の奏法(高砂家丸子から故近江タキ師へ伝承された二上り調の追分伴奏法)に変った頃、故花柳吉富三師(本名佐藤トミ、江差町新地)が手を加え現在の踊りに完成したものです。

北海道独特の厚司姿を取り入れ、カモメが飛び交い、波の動き、ニシン船を漕ぐさまを静かな動きで表現しています。他の民謡踊りには見られない独特な情緒があり、唄と共に伝えられ、町の娘さんやお母さん達により保存伝承されてきました。

 

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