松前藩の発祥の地として当時北海道の中心地であった上ノ国に隣接し、鴎島が風と波を防ぐ天然の良港であったことから、江差には多くの和人が住み着くようになりました。上ノ国の蠣崎氏が松前に移ってから上ノ国は少しづつ衰え、政治の中心は江差に移っていきました。

交易港として江差に繁栄をもたらしたのは、ヒノキアスナロ(ヒバ)の切り出しでした。当時、上ノ国から厚沢部川までの間に、大きなヒノキアスナロの林がありました。この頃、江差には木こりが1100人住んでいるという記録が残っていますから、豊かな木材資源を目当てに本州からたくさんの木こり、木材商が江差に渡ってきたのでしょう。

「五勝手」と言えば、老舗の和菓子屋を思い起こしますが、ヒノキアスナロ交易盛んな時代のこんな伝説がいわれとなっています。

今から260年前の宝永年間(1704~1711年)、南部津軽の田舎より松前藩に雇われて五勝手村の山林に、毎年、ヒノキの伐採に従事するために多くの杣夫がありました。

秋の一日、杣夫たちが仕事の休みを幸いに狩りに出かけ、山間を歩き回って椴川を越えたとき、鹿の群れを発見しました。弓矢をとって鹿を仕留めようと様子を見ると、鹿の行動があまりにも異様なので、木々の間に隠れて成り行きを見守ることにしました。青・赤・黒・白の四頭の牡鹿が、一頭の牝鹿を囲んで争っているようなのです。

牝鹿をめぐって争う3頭の牡鹿を眺めていた白鹿は、やにわに牝鹿を連れて藪の中に隠れてしまいました。

取り残された鹿たちは、狂い回って探し回りました。

しばらくして、青鹿は、ようやく牝鹿を捜し出し、喜び勇んで連れてきて自分の後ろに隠すのを見て、黒鹿は怒り猛って青鹿と争い、ついに牝鹿を奪い取って、堂々と勝ち名乗りを上げました。

すると、先刻より傍らで寝ながら眺めていた赤鹿がやおらに体を起こすやいなや、黒鹿に角を振り立てて、つきかけたので、黒鹿は負けまいと応じました。その争いはものすごく、勝負の結果はなかなかつきそうにもなかったのですが、黒鹿はついに力がつき、赤鹿に突き飛ばされ、牝鹿を奪われてしまいました。

このように繰り返して争うのを眺めていた白鹿は、このままではお互いに益無しと感じたのか、中に入ってしきりに何かささやき、間もなく和睦の話し合いがついたのか、一声高くいなないたと見ると五頭の鹿は、うちそろって踊りながら、角を振り立ててどこへともなく立ち去りました。

杣夫達は、このあまりに不思議な情景に、あるものは驚き、あるものは感心してそのまま村に帰り、村人に見たとおり物語りました。それを聞いた村人は
「このような神秘の振る舞いは神の神楽というのではないか。また鹿は春日明神が著しく愛用されていたと伝え聞く。であってみれば神を慰める舞の手を仕組んで例祭に用いよう」
ということになり、鹿の振る舞いをそのままに猿楽や田楽も交え、笛や太鼓の拍子もにぎやかに歌を加えて、今も江差の郷土芸能として伝わる「五勝手鹿子舞」が誕生したということです。

 

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