江差餅つきばやし

江差地方の正月行事は賑やかさを極めた。戦後の一時期までそのなごりは続いていたが、今はわずかに大晦日の姥神神社参詣の華やかさだけになった。

江差餅つき囃子保存会によって伝承されるこの囃子は、鰊漁華やかなりし頃の商家や親方衆一般に行われた暮れの餅つき、慶事における餅つきの様子を伝えているもので、笛や太鼓、唄に合わせて若い衆が十数人で仕草もおかしく餅をつくという、ユーモラスでダイナミックなショーである。その後半では合取手がその中で曲芸も披露する。

昔の江差では、年の瀬が近づくと、何処の家でも大量の餅をついたものです。それが正月行事のスタートでした。親方衆は一軒で五俵、十俵と餅をつくのが普通でした。その頃合いを見計らって十数人の若い漁師が一団となって踊りながら親方衆の家に押しかけては餅をつき廻り、祝儀をせしめるというものでした。

日頃、若い漁師に理解があり、町でも評判の良い親方の家では、高らかに景気を祝い、その繁栄を真に祈念しつつつきあげます。

今年豊作万作で
山は豊作浜大漁
この家じゃ黄金の餅をつく

とやって、たんまり祝儀をはづんでもらいます。

ところが、常日頃評判も悪く、漁師たちの使い方の荒い親方の家では、

寺の下のさよばさま
御廁さ湯ことてチャペ洗った
その手でお釈迦さ団子あげた
お釈迦臭いとて鼻まげた

など、下卑な歌を唄って徹底的に暴れまわり、高額の祝儀がでるまでやめないからたまったものではありません。

親方や家人はいい加減にして欲しいから乞われるようにままに祝儀や餅を出さざるを得ませんでした。

若い漁師たちは意気揚々と退散し、精一杯日頃のうっぷんを晴らしては溜飲をさげるのである。

この浜の男たちのエネルギーと反骨の意気こそ、江差漁民の伝統であり、権力に屈せず、不条理に対しては断固立ちあがる漁師魂の根幹でありました。藩政時代から明治にかけて、いく度となくくり返されてきた「網切り騒動」や「桧山騒動」という漁民一揆を団結して戦い抜いた根性でありました。

 

<こねり>
裏の畑のサヤ豆子
一サヤ走れば皆走る
私お前さんについて走る
<からみ>
アイヤ、松前江差の津花の浜で
女郎酌くとはしあしや

 

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