西川春庵墓碑

西川春庵墓碑

西川春庵(1820〜1886)町医者の家に生まれ、名は雍(たすく)、若年で京都に遊学、その傍ら頼山陽門人として学ぶ。天保12年(1842)帰郷して家督を継ぎ春庵と名乗り、医業に専念するとともに江差の文人と親交を深め、淇山と号し俳諧を楽しんだ。弘化3年(1846)樺太詰めになったが、渡樺は個人として厳重だったのを、松浦武四郎を下僕として(雲平と名乗らせ)従え赴く。帰郷後頼三樹三郎との出会いがあり、「江差八勝」の「鴎島煙檣」を詠む。
設置(管理)者不詳
設置住所本町
設置場所松の岱神葬墓地内
設置年不詳

 
江さし草会