松澤伊八翁記念碑(遺芳)


松澤伊八翁記念碑(遺芳)

松澤伊八(1835〜1893)
 佐渡赤泊村に生まれ、嘉永2年14歳で切石町(現在江差町橋本町)呉服商川端武右衛門に奉公。慶応2年(1866)に独立し、呉服商・海産商・田畑開墾・海運業と業績をあげ、江差屈指の大商人となり、初代江差郵便局長・道路改修・江差灯台建設など、公益事業に大きな功績を残している。特に鰊漁業の終末期を迎え、それに代わる産物として清国貿易品に鯣(するめ)が有望であると判断して、明治19年に長男儀造と函館支配人杉村福造を上海及び香港に鯣現品を持参させて、輸出に成功した。これは三井物産の市場開発であり、これによって道南鯣の三井買付となるのである。しかし不幸にも松澤伊八は経営する北海汽船の所有船が相次ぐ海難事故に見舞われ、松澤は私財をもって損害補償や遭難遺族の救済のあたり、その憔悴のなか明治26年6月3日58歳の生涯を閉じた。
 記念碑は最高の拠金舎である三井物産はじめ多くの人々の醵金によって建立されたものである。本碑を中心に右側にこの「遺芳」(明治32年5月)左側に「常夜燈」(明治32年12月3日)が建っている。
設置(管理)者 曹洞宗 巌浄山正覚院
設置住所 本町
設置場所 松の岱公園内
設置年 明治32年5月

 
江さし草会