清水三四郎之墓

清水三四郎之墓

(前面)開拓使檜山爾志郡役所□□夫鹿児島県平民・清水三四郎之墓享年三十四才(左側面)明治十四年二月六日明治14年(1881)2月、檜山爾志郡役所雇丁として勤務していた清水三四郎が、郡役所で不足した訴訟用罫紙を函館支庁よりの運搬を命ぜられ、異常な猛吹雪の中帰着を急ぎ、鶉山中で遭難した。市来政胤郡長が即刻捜索させたが発見することができず、融雪後の山谷の大捜索も遺体は発見できなかった。
明治19年9月屯田本部長永山武四郎一行が江差巡回
のおり、松ノ岱招魂社の参拝。同道の函館支庁長時任為基が小さな碑に目を留め、市来郡長が清水三四郎を弔った塚であることを告げると、支庁長は殉職を憐れみ、遭難場所を想定して国道227号線天狗橋側に「清水三四郎之墓碑」を建立させた。
設置(管理)者不詳
設置住所本町
設置場所松の岱神葬墓地
設置年明治14年2月6日

 
江さし草会