江差町内各地

中村純三が昭和23年(1948)ごろに聞いた昔話

ある晩、繁次郎という男が隣へ遊びに行くと、そこではちょうど汁粉を煮ているところでした。
繁次郎は一杯ご馳走になろうと思って座り込みましたが、いつまでたっても食べさせるとは言ってくれません。
繁次郎はしびれを切らし、大きなあくびをして立ち上がりながら、「あぁ、近ごろはさっぱり面白いこともないし、生きていることも癪にさわる。家に帰って火でも付けてやるか」と言いました。
驚いた隣の人は、「繁次郎、バカなまねはやめろ! お前の家に火を付けるのは構わないが、おれの家まで焼けたらどうする」と言いました。
すると繁次郎は、「おれの家の火事がおまえの家にまで移るわけがない。おまえさんの家で汁粉を煮たところで、おれの家にただの一杯でも持ってきたかよ」

【出典】「江差の繁次郎」を改変

江差町内だけでなく、北海道や東北地方で「繁次郎話し」が伝わっています。
その内容は、繁次郎(しげじろう)という機転の利く男が繰り広げるおどけ話しです。
江差町内でも古くから語り継がれていましたが、昭和23年(1948)の新聞連載から広く知られるようになりました。
ただし、聞き取りを基にした話しは数話で、多くは創作であるともいわれています(阿部敏夫「中村純三版『江差の繁次郎』話生成とその影響」)。

 

しげじろうのぞう
しかし、尾山地区では繁次郎の像を建てるなど、繁次郎を素材にした地域活動が行われています。

 


また、江差町のキャラクター「しげっち」も繁次郎をモチーフにしています。
 

 

五厘沢地区

菅江真澄が寛政元年(1789)に聞いた伝説

五厘沢という場所に妻の湯という温泉があります。
200年ほど昔、つまという名前の女性が病にかかって死にそうになった時、神様からのお告げでこの温泉に入ったところ、病が治ったそうです。
それからこの温泉を妻の湯と呼ぶようになりました。

【出典】「えみしのさえき」を意訳

 
「妻の湯」があった場所には温泉ホテルが建っていました。
現在もその跡を遺しています。
 

 

伏木戸地区

菅江真澄が寛政元年(1789)に聞いた伝説

馬蜘野(まくぼの)という場所があります。
ここには、馬の大きさほどもあるクモがいて、人を食べてしまう場所だということです。

【出典】「えみしのさえき」を意訳

 

 

尾山地区

菅江真澄が寛政元年(1789)に聞いた伝説

むかし、アイヌと和人との戦いがあった時、和人の小山判官(おやまはんがん)という人物が活躍して、アイヌに勝ちました。
アイヌは小山を「カムイ(神)」だとして恐れました。
小山は、戦いのさなかに脛当てを落としたのですが、アイヌはそれを祀りました。それが小山権現という祠です。

【出典】「えみしのさえき」を意訳


尾山地区にある岩城神社(いわきじんじゃ)のご神体は、伝説に登場する小山隆政です。
 

 

中歌地域 

菅江真澄が寛政元年(1789)に聞いた伝説 

江差の町中に九艘川(くそうがわ)という細い川が流れています。
この名前は、この川の上流の奥山から、大きな船9艘分の木を伐り出したといわれていることから付けられました。

【出典】「えみしのさえき」を意訳 

松浦武四郎が弘化3年(1846)に聞いた伝説

中歌町に九艘川という小さな川があります。
九艘川には、むかし9艘ほどの船が入っていたということです。
今は、1艘も入ることができない川です。

【出典】「蝦夷日誌」を意訳


九艘川は、旧中村家住宅の脇を流れていました。現在は道の下を流れています。
むかし、「いにしえ街道」に架かっていた橋の一部が遺されています。

 

鴎島地域

松浦武四郎が弘化3年(1846)に聞いた伝説

鴎島には「蹄石(ひづめいし)」や「巻物隠しの窟」と呼ばれている場所があります。
蹄石は、源義経が乗る馬の蹄跡といわれています。
巻物隠しの窟は、弁慶が巻物を隠したところだといわれています。

【出典】「蝦夷日誌」を意訳 

 

 

椴川地区

菅江真澄が寛政元年(1789)に聞いた伝説 

江差町南部を流れている椴川(とどがわ)は、むかしは川幅も広くて深さもあり、とてもサケが獲れた川でした。
ある年の秋、ひとりの修験者(しゅげんじゃ)が椴川で一休みしていました。
弁当箱のふたに、干したご飯と塩漬けした山グミをのせ、そこに水を入れて水漬けを食べていました。
すると、行き交う村人たちが「この坊主はサケの子を食っているぞ、生臭坊主だ! 何もあげるなよ! 家にも泊めるなよ!」とはやしたてたので、多くの若者が集まってきました。
修験者は「ちがう! これは山グミの実だ。私は少しもおかしなことはしていない」と弁明しましたが、みんな聞く耳を持ちません。
山グミの実がサケの卵と似ているので、見まちがえてしまったのでしょう。
村人たちは修験者をとがめ続け、言い争いになってしまいました。
修験者は怒ってしまい、「こんなに大変な修行をしているのに、生臭坊主だと思うならば思えばいい! お前たちにはもう、サケ一匹たりとも獲らせない!」といって、川をさかのぼり、紙に何かを書いて川へ流しました。
それ以来、椴川でサケが獲れることはなくなりました。

【出典】「えみしのさえき」を意訳

松浦武四郎が弘化3年(1846)に聞いた伝説

トド川という名前は、むかしこの川に大きなトドがのぼってきたからだそうです。

【出典】「蝦夷日誌」を意訳


現在の椴川。

 

 

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