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土場鹿子舞

土場鹿子舞

土場鹿子舞(ドンバのシシコ)

江差町字柳崎の部落に伝承されている鹿子舞である。厚沢部檜山(羽板内山・目名山)で伐採された原木が厚沢部川を利用して流送され、川口近くの土場(この土場に発生した集落が柳崎である)に集木されて、筏に組まれ江差港に運ばれるのであるが、この土場で働く杣夫と筏師によって伝承されたものである。当地方に伝承されている鹿子舞の多くは、檜山の伐採現場で発生したのに対して、これは貯木場(土場)に発生したという点で、他とは異なった特徴を持っている。

厚沢部山の開発は御山七山の中では最も新しく延宝6年(1678年)で、他は南部の杣夫が多く入山したのに対して、厚沢部山や柳崎には津軽地方の入山者が比較的多く、そのために土場鹿子舞は津軽鹿踊りの系統である修験神事の原型を伝えている。

踊りは雄鹿子(おじし)・白鹿子(しらさぎ)・雌鹿子(めじし)の三頭構成で、鹿子頭の特徴が顕著であり、修験神事の影響を強く残している。即ち目鼻が真鋳で大きく荒々しく表現され、重量感がある。耳には修験道の邪聞(じゃもん)除けの紙玉をさげ、口には白い髭をつけて長寿を現わし、髪は麻糸で紙の御幣と鳥の羽を付している。この鹿子頭の形態は現在津軽地方に残るものよりも原型に近いといわれている。

踊りの構成は前半の神事と後半の女鹿子争い、その中間の「木々振り舞」(きぎふりまい)の三部構成であるが、木々振つ舞は鹿子舞とは別個の要素であって、鹿子舞だけでも50分を要し、しかも重い頭をつけての重労働に対して、中間に休憩を入れ、その休憩時に木々振り舞を入れたと見ることができ、木々振り舞はそれだけで独立した一つの要素を持つものである。即ち

第一部
鹿子頭安置。魂入れ。道歩き。ぽつこみ。橋渡り。ヤンコ褒め。

第二部
木々振り舞(この間鹿子は休憩)

第三部
山がかり。背(たけ)競べ。雌鹿子争い。仲直り。こぎりの舞。

という順序で、笛・太鼓・ササラで拍子を取り、ヤンコの歌詞にあわせて踊りが展開される。この第二部として木々振り舞を入れるという構成は土場鹿子舞の特徴で、当地方に伝承される他の鹿子舞にはないものである。

五頭立の鹿子舞と三頭立鹿子舞の大きな違いは、三頭立の場合踊場の中央に「ヤマ」を立てると称して、御幣をつけた一本の青木を立てることである。これは姥神大神宮の祭礼に供奉する山車を、「ヤマ」と称するのと同様、「ヤマ」とは神の依代(神座)を意味し、一連の踊りの中で重要な意味を持つものである。当地方に伝承されている三頭構成の鹿子舞では何れも「ヤマ」を立てて、五頭立てと大きな違いを見せている。

土場鹿子舞は、修験神事を原型に近い姿で伝承しているといわれるが、踊りの動きが小さく単純な動作の反復である。第三部の「山がかり」では、踊場中央の「ヤマ」を中心に神霊に打たれて倒れるしぐさ、神への畏敬の表現など、素朴な姿をよく伝えている。第三部の「背競べ」以下は五勝手鹿子舞とほぽ同様なストーリーで踊りが展開されるが、木場で働く人びとの姿を実に巧みに表現している。即ち僚師としての身のこなし方が踊りを一貫する基本動作で、常に下肢を屈身させて平均をとり、他の鹿子舞のように跳び上がる動作が少なく、足の運びも低く細かく、筏師によって構成されたという特徴が顕著である。また衣装も原始的(赤と緑の配色等)で素朴さが残されている。

この踊りには「オカシコ」と称する道化師がでてきて、鹿子と戯れながら踊るという、笑いが付属しているのも、土場鹿子舞の特徴である。さて第二部の木々振り舞(杵振り舞ともいう)は、女装の男性が一本の杵(堅杵・オナゴ杵ともいう)を持って笛・太鼓・ササラの拍子に合わせて踊り、手芸・足芸で杵を操る一種の曲技である。口伝によると、檜の伐採作業中誤って木の下敷となり気を失った杣夫に、同僚が大木の虚から見つけた水を飲ませたところ、奇跡的に蘇生したので、この大木は神木であるとして、喜び感謝をこめて、小枝を振り振り大木の周りを踊り回ったのに始まるという。

この「木々振り舞」を鹿子舞と一環させた組み合わせは、厳粛な神事の中に憩いの曲芸を入れ、変化をもたせた演出で、実に効果的であるということができる。

 

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