方向石の手水鉢

方向石の手水鉢

昔、かもめ島の上には弁天社と呼ばれる祠があった。その祠の創立年代は不詳だが(一説には元和元年(1681)というものもある。)明治元年厳島神社と改称されたという。北前船の最終寄港地としての江差は「入船3千出船3千」「江差の5月は江戸にもない」とうたわれるくらいの繁栄にぎわいを極めていた。1航海で船建造費を回収、2航海目からは取引のすべては利益につながったと言われた。この北前船取引は、航海の安全が命であった。江差回船問屋 村上三郎右衛門は航海安全・商売繁盛を祈願しこの手洗鉢を寄進したもの。この方向石の設置により、かもめ島は日和山とされ、北前船の運行に貢献した。江差の3大祭りのひとつ、「かもめ島まつり」には、海上安全・豊漁祈願・商売繁盛等を祈願し、当社御輿が御座船で海上渡御する神事がみられる。
設置(管理)者江差回船問屋 村上三郎右衛門
設置住所鴎島上
設置場所鴎島厳島神社境内
設置年不詳

 
江さし草会