九艘川橋柱跡欄干


九艘川橋柱跡欄干

九艘川橋柱跡欄干

町会所や中村家の横に九艘川が流れていた。九艘川の意味はアイヌ語で「沼の水が流れ出た川」という意味の「クッチャルベツ」による説、松浦武四郎は「大シケのとき難破した船が九艘入り込んだから」という説、また、菅江真澄は「川上流の山より船九艘分の用材を切れだした」とか「昔、臭水油(クソウズ)が流れていた」とも書いている。ここから東別院の下まで地域を、川の名をとり、昭和9年の字名改正まで九艘川町と呼ばれていた。「写真でみる江差町史」に大正15年6月の中村家の横には川が写っている。国道や道道の改修、中村家復元など時の流れの中で川にかかっていた九艘川橋が取り壊されるにあたり、先人たちがこの地域の歴史の証として柱欄干を保存してきた。歴史をいかすまちづくりの事業の中で注目すべき遺稿である。近くには九艘川公園がある。
設置(管理)者 江差町
設置住所 中歌町
設置場所 町道江差小学校線沿い
設置年 明治40年

 
江さし草会